動画で使った全21枚のスライドを、本文の関連箇所に掲載しています。画像を押すと拡大できます。
この研究で押さえたい3つのこと
- 分子動力学シミュレーションで得た複数のタンパク質構造を使う。
- 標的の特徴を反映するh-scoreで、候補の優先順位をつける。
- 能動学習で次の計算対象を選び、全候補を一律に計算する負担を減らす。
01 / OVERVIEW大量の候補から、実験で確かめる分子を絞る
化合物の候補が多いほど、すべてを実験するのは難しくなります。コンピューター上で分子を評価するインシリコスクリーニングは、その前段階で候補を絞るための方法です。ただし、タンパク質へのはまり方を予測する「ドッキング」の得点だけで、実際に効く分子を見つけられるとは限りません。
Elezらの研究では、タンパク質の動きを考慮した構造の集まりと、標的に合わせた採点法、機械学習による候補選びを組み合わせました。最終的には、BMS-262084によるTMPRSS2の酵素阻害と、Calu-3細胞でのコロナウイルス侵入抑制を実験で評価しています。
出典:原論文 Abstract、Results、Fig. 4。
02 / TARGETなぜ、宿主側のTMPRSS2を狙うのか
TMPRSS2(transmembrane serine protease 2:膜貫通型セリンプロテアーゼ2)は、宿主細胞の膜にある酵素です。一部の呼吸器ウイルスの侵入に関わり、コロナウイルスではスパイクタンパク質を切断して、細胞への侵入を助けます。
ウイルス側の分子に加え、侵入に必要な宿主側の仕組みを標的にすることも、阻害剤探索の選択肢になります。本研究では、複数のコロナウイルスや系統に対する作用を調べるという狙いがあります。既知の阻害剤があり、計算による候補選びを検証できる点も、この標的を扱ううえでの利点です。
宿主側を狙うという考え方が、あらゆる変異体への有効性を保証するわけではありません。この研究が示した作用の範囲は、論文で評価された酵素・細胞の試験系に基づきます。
出典:原論文 Introduction、Discussion。動画 02:59–04:28。
03 / STRUCTUREタンパク質の形を、一つに決めない
研究が行われた時点では、利用できるTMPRSS2の実験構造がありませんでした。そこで、似たタンパク質の構造を鋳型にして形を予測する相同性モデリングを出発点にしています。
その構造を、分子の時間変化を計算する分子動力学(Molecular Dynamics:MD)シミュレーションで動かします。得られた構造群から、時間的に続きやすい状態のまとまりを捉える隠れマルコフモデル(Hidden Markov Model:HMM)を使い、代表的な20構造を選びました。隠れマルコフモデルは解析の方法の名前で、論文のマルコフモデル解析にはPyEMMA、MDにはOpenMMを使用しています。
PyEMMAは現在アーカイブ済みで、READMEでは代替パッケージとしてdeeptimeを案内しています。deeptimeのHMM解説も参照できます。deeptimeは学習・検討用の関連リンクで、この論文で使用された実装はPyEMMAです。
候補化合物が入るポケットは、入口が開いたり、周囲の側鎖に遮られたりします。こうした違いを持つ複数の構造を用意することで、候補分子が結合しやすい形を探索に含めます。
出典:原論文 Methods「Target structures」、Results「Molecular dynamics allow accurate candidate ranking and docking」。
04 / SCORINGその標的にとって大切な接触を、採点に入れる
本研究では、sminaのVinardoスコアを使い、複数の受容体構造に対して候補化合物をドッキングし、その配置を評価します。さらに、TMPRSS2に合った結合の特徴をまとめたh-scoreを導入しました。
h-scoreでは、基質を認識するS1ポケットや、その隣の疎水性領域をどれだけ覆うか、重要な部位にどれだけ近づくかを評価します。大きな分子が単に広い面積を覆うことで有利になりすぎないよう、分子の大きさによる偏りも補正します。h-scoreは、大きいほど高評価です。論文では、表面積や距離などの計算にMDTraj、反応しうる結合の検出にRDKitを用いています。
h-scoreの実装を確認したい場合は、論文のCode availabilityに掲載された著者らの公開スクリプトを参照できます。
ドッキング由来の配置を評価する静的なスコアに加え、複合体をMDで動かして評価する動的なスコアも比較しています。「置いたときの形」だけでなく、「動かしたときにどう振る舞うか」も検討した研究です。
動的な採点には追加の計算が必要です。論文では、DrugBankでの比較では静的h-scoreに対する改善が限られる一方、計算コストが増えることも示されています。動かせば常に効率が上がる、という結果ではありません。
出典:原論文 Methods「Target-specific scoring」、Table 1、Discussion。
05 / ACTIVE LEARNING次に計算する分子を、学習しながら選ぶ
能動学習(Active Learning)は、すでに評価した分子の情報を使って、次に評価する分子を選ぶ仕組みです。本研究では、計算で採点した分子を学習データにして、まだ計算していない分子の得点を予測します。
評価材料には、NCATSの公開活性データから選んだ50化合物、フィルタリング後のDrugBank 8,918化合物、約14万5千化合物の所内ライブラリを使っています。公開活性データは採点法の評価に、DrugBankは模擬スクリーニングや候補探索に使われ、出所ごとに役割が異なります。
- 最初は、多様な分子を選ぶ化合物の特徴を数値化し、k-means法(scikit-learn)で似たもの同士に分け、それぞれから代表を選びます。
- 選んだ分子を、実際に計算して採点するドッキング得点やh-scoreを求め、分子の特徴と得点の組を集めます。
- 未評価の分子の得点を予測する学習済みモデルで残りの候補を評価し、有望と予測した分子を次の計算対象にします。
- 新しい計算結果を加えて、学習し直す予測と追加計算を繰り返し、候補を絞り込みます。
分子の情報を数にするCDDDと、得点を予測するSVR
本研究では、分子構造を文字列で表したSMILESを、事前学習済みモデルで数値へ変換するCDDD(Continuous and Data-Driven Descriptors)を使います。動画では、分子を512個の数で表す方法として紹介しています。これは、分子の三次元座標をそのまま512個並べるという意味ではありません。
その特徴量から得点を予測するのが、サポートベクター回帰(Support Vector Regression:SVR)です。小さな予測誤差を許す幅を設け、幅を超えるずれと予測関数の複雑さの釣り合いを取って学習します。ここで学習する正解は、実験の成否ではなく、計算で求めた得点です。
「少なく計算して、既知の阻害剤を上位に戻せるか」
DrugBankを使った模擬スクリーニングでは、既知の4阻害剤がすべて評価されるまで候補を追加し、計算した化合物数と、その4剤の順位を比較しています。次の表は5回の試行の平均です。
| 採点方法 | 計算した化合物数 平均 | 既知4阻害剤の 平均順位 |
|---|---|---|
| ドッキング得点 | 2,755.2 | 1,299.4 |
| 静的h-score | 262.4 | 5.6 |
この比較では、標的特異的スコアを使うことで、計算する候補数が減り、既知の阻害剤が上位に入りました。また、動的h-scoreを使う枠組みで能動学習の有無を比べた場合、著者らは計算資源時間が約29分の1になったと報告しています。
約29分の1は、上の表の2行どうしの比ではなく、能動学習あり/なしの別比較です。CPU/GPUの使用時間を積算したcore hoursの著者報告値で、実際の待ち時間の倍率ではありません。Table 1の表注と受容体準備計算の計上には整合しない記述があるため、ここでは著者の報告として紹介しています。
出典:原論文 Table 1、Results「Active learning vastly accelerates compound search」、Methods「Active learning cycle」。動画 09:17–12:50。
06 / EXPERIMENTAL VALIDATION計算の上位から文献をたどり、実験で確かめる
DrugBankの一部を計算した時点で最上位だったのは、DB03417でした。研究者らは、その分子が対応するウシのトリプシンとの結晶構造を調べ、親化合物であるBMS-262084へたどります。計算上位の分子と実験した親化合物を区別して読むことが、この流れを理解するうえで大切です。
酵素の活性を半分にする濃度の指標
さらに、ヒト肺由来のCalu-3細胞を使って、コロナウイルスの侵入・感染を抑える作用を調べました。複数のウイルスや系統を対象に評価していることが、この論文の「広域」という表現につながります。
1.82 nMは酵素試験の値で、細胞試験の値とは区別する必要があります。また、本研究では動物での有効性や、ヒトでの治療効果は評価していません。計算で候補を選び、酵素と細胞の実験へつないだ報告として読むのが適切です。
出典:原論文 Results、Fig. 4、Supplementary Fig. S2。動画 13:07–13:36。
07 / DISCUSSION他の標的へ持ち帰れる考え方は何か
一方で、h-scoreの具体的な内容はTMPRSS2の認識・反応の特徴に基づいています。他の標的へ応用するには、その標的では何を良い結合として評価するのかを考え、既知の活性データなどで採点法を検証する必要があります。
補足:トリプシン様ドメインに広げる学習型スコア
論文では、似たドメインを持つタンパク質へ採点法を広げる検討もしています。PDBbind由来の651複合体を使い、複数の決定木の予測を組み合わせるランダムフォレスト(scikit-learn)で結合親和性を予測し、テストデータで実測値との相関0.80を報告しました。
この学習型スコアは、今回のTMPRSS2候補探索で使ったSVRやh-scoreとは役割が異なります。論文は、以降の候補探索をTMPRSS2特異的スコアへ戻して進めています。ここは、将来の拡張を考えるための別の検討として整理できます。
出典:原論文 Results「Learned score generalizes to trypsin-domain proteins」、Methods「Trypsin-domain-specific scoring」、Discussion。動画 13:38–14:32。
08 / READ参考文献と公開コード
紹介した手法に対応するツール・公開コード
本文やスライドに出てくる手法を、実装やドキュメントで確認するためのリンクです。
| ツール・コード | この研究での役割 | リンク |
|---|---|---|
| OpenMM | タンパク質や複合体の分子動力学シミュレーション | GitHub ↗ |
| PyEMMA | 分子動力学データのマルコフモデル・隠れマルコフモデル解析 | GitHub ↗ |
| smina | ドッキングとVinardoによる採点 | 公式配布元 ↗ |
| MDTraj | h-scoreで用いる表面積・距離などの解析 | GitHub ↗ |
| RDKit | 分子の処理や反応しうる結合の検出 | GitHub ↗ |
| CDDD | SMILESを数値の分子記述子へ変換 | 著者実装のGitHub ↗ |
| scikit-learn | k-means、SVR、ランダムフォレストの実装 | GitHub ↗ |
| 本論文の公開コード | h-scoreなど、著者らが公開した解析スクリプト | GitHub ↗ |
論文に記載された主な使用版:OpenMM 7.4.0、PyEMMA 2.5.7、smina 2017.11.9、MDTraj 1.9.4、RDKit 2020.03.4、scikit-learn 0.22.1。リンク先の現行版は論文当時の環境と異なる場合があります。リンク確認:2026年10月24日。
紹介論文
Simulations and active learning enable efficient identification of an experimentally-validated broad coronavirus inhibitor
Katarina Elez, Tim Hempel, Jonathan H. Shrimp et al.
Nature Communications 16, 6949 (2025)
2025年7月29日公開
DOI:10.1038/s41467-025-62139-5
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